潜在看護師から現役へ。ブランクが大きい方ほど勇気が入りますよね?もう、50代だから・・・と年齢を理由に躊躇していませんか?
大丈夫、ブランク期間や年齢は関係ないのです。ブランクがあり、潜在看護師で専業主婦だった私も復職できました。そして、何よりこの本は現実的に働けるということを教えてくれます。
この本を読めば自分はまだまだ現役看護師で仕事ができるんだ!と希望と勇気をもらえます。
池田 きぬさんの人生の来し方に学べるところがたくさんあります。
【死ぬまで、働く。】池田 絹 すばる舎
- 97歳現役看護師
- 88歳の時に現在のサービス付き高齢者住宅で働いて9年以上
- 週1〜2回の仕事
- 戦争中、負傷兵の看護を経験
- 終戦後、子育てをしながら仕事をする
- 精神科の看護
- 管理職を経験
- 自分の病気・家族の介護も経験し現在一人暮らし
こんな私の人生を「本にしませんか」と思いがけないお誘いを受けました。特別なことは一つもないから、最初はお断りするつもりでした。でも、職場で相談を受けたときと同じように、読んでくださった方の背中を押すことができたら、「それも、ええやないかな」と思い、お引き受けしました。 はじめにより抜粋
復職するにあたり、池田 きぬさんから教わった姿勢があります。
- 年下でも上司は上司。立場をわきまえた態度は崩さない
- 誰にでも良い面悪い面がある。良い面にいかに目を向けるか
- 何事も断ることはしない。苦労が人間性を作り上げてくれる
50代からの看護師への復職は年下のスタッフと仕事をすることが多くなります。スタッフ一人一人を尊重して、良い人間関係を気づくことが大切だと思います。池田 きぬさんは自然な感じでされていて、まさに見習うべきことがたくさんあります。私は現在54歳になりますが、著者の「池田きぬ」さんから見れば孫の世代です。まだまだ、これからでしょう!と背中を押されました。
【著者略歴】
池田 きぬ
看護師。1924年(大正13)年7月9日、三重県一志郡大井村(現在の津市一志町)で5人姉妹の末っ子として生まれる。地元の女学校を卒業し、赤十字の救護看護婦養成所に進む。1943年、19歳の時、海軍に療養所として接収された湯河原の旅館に、看護要員として召集される。終戦後、地元に戻り結婚。長男・次男を出産。中部電力津支店の保健婦として勤務。その後、精神科の県立病院で副総婦長を約20年。最後の1年は総婦長に。定年退職後、訪問看護や介護保険施設、グループホームなどの立ち上げにも関わった。引用 死ぬまで、働くより
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