看護師から雑貨店オーナー、そして再び看護師兼ハンドメイド作家の二刀流へ!潜在看護師を経験したからわかった看護の仕事は面白い!

看護師を辞めて、潜在看護師と呼ばれるようになったのはいろんな理由があると思います。

  • 仕事がきつかったから
  • 忙しすぎて自分の時間が持てない
  • 給料が労働に見合っていない
  • 燃え尽きてしまった
  • 育児や介護との両立ができない
  • 看護師に向いていないと思った
  • 人間関係で悩んだ
  • 夫婦関係がギクシャクしてしまった
  • 他にやりたい仕事ができた

だから今は看護師の仕事はしなくていいかな・・・。とか、何ならもう看護師辞めてもいいかな・・・と、思ったり。

でも、看護の仕事も好きだった・・・。など揺れ動く気持ちもあったり。

潜在看護師のみなさんはいろんな思いを抱えていると思います。

令和3年の3月にコロナが猛威を奮っている最中、看護師が不足しているという現状に心が揺れて、潜在看護師20年から復職した私が思うには、思い切って看護師の仕事を再開してみて本当に良かった!ということでした。

また、ちょっと先走って失敗したこともありましたが・・・

そんな失敗を含めても看護師の仕事ってすごいんだ!と思いました。

もともと看護師になりたいと思って看護学校へ通ったあの頃。

今は更に人生経験を積んでわかったことがありました

  • やりがいがある
  • 感謝されることがある
  • 感謝することがある
  • 自己成長がある
  • 患者さんやご家族の役に立てる
  • 今までの人生経験が看護に生かせる
    • 育児・家事・介護・地域活動

本当に素晴らしい仕事だ!看護の仕事は面白い!と思えるのです。

そして、人生一度きり!やりたいことが明確になってきた私は「看護師」と「ハンドメイド作家」の両方を仕事にすることに決めて、現在進行形です。

目次

看護師歴12年 正職員として駆け抜けた日々

ジャムさんの看護師歴はどんな風なんですか?

私は12年間、正職員として
以下の仕事をしていました。

  • 大学病院で「NICU」(新生児・未熟児病棟)勤務
  • 特別養護老人ホーム(施設内勤務・デイサービス勤務)
  • クリニック(デイケア・訪問診療・ケアマネージャー)

大学病院以外はほぼ、在宅系の
仕事をしていました。

そうなんですね!
もともと在宅系が好きだったんですか?

特養に誘われた時は長男を出産後だったので、
日勤の仕事をやりたかったのが
1番の理由ですね!

子育てしながらの仕事は
大変だったのではないでしょうか?

  • 次男出産後、二人を朝一番で保育園に送り届け
  • 延長保育最終時間で二人を保育園に迎えにいき帰宅
  • 主人にバトンタッチした後、職場に戻り残業・・・

そんなハードな日々を送っていました。

それは、凄すぎです!

  • やりがいはあった
  • 役職がどんどんついた
  • お給料がとても高かった
  • でも、自分の時間はほとんどなかった
  • 育児や家事で主人ともめた
  • 毎日、クタクタだった
  • 学童保育の時間が短すぎて家でお留守番する長男が可愛そうだった

ほぼ若さで乗り切った感じ・・・。

ある日突然、主人の父の介護をするために北海道に戻ることになった

もう、看護師の仕事は辞めよう・・・。

辞めた主な理由

  • 燃え尽きた
  • 他にやりたい仕事があった
  • 子供の側に一緒にいたかった
  • 介護をすることになった

昔からやりたかった、自宅で雑貨屋さんを開こう!と、直感で判断して行動に移しました。

看護師から異業種へ(アンティーク雑貨とハンドメイドのお店開業)

看護学生の時代からフリーマーケットなどで、ハンドメイドの作品を販売することが多く、将来は雑貨店を開きたいとさえ思っていました。

手広くお店を営んでいる叔母に相談したところ、「せっかく看護師の資格を取ったのだから、今は看護師として働いて、商売はそれからでも遅くないよ」の言葉に従って12年。

そろそろ、やりたいことをやってもいい時期かな?と即決。

実家の父を巻き込んで自宅ショップを始めました。

当時はアメリカンカントリーも盛んな時期で、自宅ショプ、ハンドメイドの作品販売、ハンドメイドイベントが徐々に盛り上がっていった頃。

この流れに乗って、自分でホームページも作り、インターネット販売も行いました。

お客さんが北海道の端から、何時間もかけてショップに来てくださり、ネット販売では遠く沖縄はじめ、毎日全国に商品を発送。

私一人の、のんびり自宅ショップからアルバイトを増やすようになっていきました。

また、テレビやラジオ、雑誌等にも取り上げていただくことができ、毎日がとても楽しくて、天職だ!とさえ思っていました。

ショップのきっかけは紙バンドのカゴ作りを教えてもらったこと

ショップを始めるきっかけは、「紙バンド」でした。クラフトバンドとも呼ばれています。

自分の好きなようにカゴやバックを作ることができます。

上記の作品は蓋付きでカゴを編み、羊毛フェルトでコラージュしています。

興味のある方は紙バンドのお店のリンクを貼っておきますね。

『Ms Factory』

『紙バンド手芸専門店 蛙屋(かえるや)』

『植田産業株式会社』

カゴ作りにハマり材料を自分で安く購入することに決めた

当時は紙バンドを販売しているお店が少なく、それなら自宅で販売してしまおう!と始めたのがきっかけでした。

ロットで購入して小分けにして販売。カラーの他ストライプの品物も販売しました。

見本になるようにカゴやバックもたくさん編み、教室も運営しました。

だんだん仲間も増えてきて、教室は私以外の友人が行ってくれることもしばしば。

イベントにも積極的に参加。

自宅ショップは家族や友人の助けがあって成り立っていたと思います。

自宅ショップ・ネットショップオープン

最初の頃はリビングで紙バンドを販売していました。その後、自宅の隣の方が引っ越していくことになり、叔母の借家だったのでリフォームさせてもらい自宅ショップにしました。

当時、インターネットでお店をする情報が少しずつ流れてきて、それにも挑戦!

毎日、毎日パソコンに向かう日々が続きました。

この頃、ブログも始め、一気にショップの宣伝も開始しました。

ファイヤーキングとの出会い

ファイヤーキング(アメリカのコレクティブル・アンティク)に出会ったのがまだ看護師の仕事をしている頃でした。

知ってはいましたが、古物なので価格が高め。

でも、これも出会いがありアメリカから輸入する経路を見つけることができ、一挙にアメリカンアンティークを販売することになったのです。

骨董の勉強をしながら古物商の許可書をとり、自宅とネットで販売。

ハンドメイドの材料から始まったショップは材料の他、お客様の完成品、ハンドメイド品を販売する委託ショップにも発展。他にアンティーク雑貨・国内の雑貨を販売するようにもなりました。

突然の閉店

毎日、朝からメールのチェック。ショップでの販売・発送業務。

夜もメールのチェック・ホームページの商品の入れ替え作業で、家族がいながらもほとんど仕事に明け暮れていました。

そんな中。主人と気持ちのすれ違いがあり、離婚問題へと発展して行ったのです。

やりたかったお店が家族の不協和音を奏で始めました。

悩んだ末、お店を辞めることにしました。

正直、今でもお店が続いていたならどんな風になっていたかな・・・と考えたり。

突っ走らず、家族のことをしっかり考えながらできていたら、こんな風にならなかったかな・・・とも思います。

専業主婦になる(もう、仕事はしない)

家庭が一番大切

家族がバラバラになる一歩手前で立ち止まることができたので、まずはここを修復するつもりで自分のことではなく、夫や子供のことを一番に考えて行動することにしました。

ハンドメイドもしばらくは全くと言っていいほどやらずに過ごしていました。

ハンドメイドをする、自分の好きなことをするということに罪悪感を感じていました。

恐らく、トラウマになっていたのでしょう。

子供の部活動(バスケットボール)の応援の日々

長男、次男とミニバスケットボール少年団に入りました。

この頃から家族みんなでバスケットボールに夢中になっていきました。

もともと、主人も私もバスケットボール経験者。息子たちに勧めたわけでもないのに、不思議と自分たちで選んで決めました。

その後、中学、高校まで試合という試合の追っかけをして、全国行脚が続きました。

本当に楽しい思い出がいっぱいできました。

子供たちに感謝しています。

地域貢献の道

子供が学生のうちは、学校のPTA役員やボランティアに参加。

町内会の役員などは30代から始め、現在に至っています。

地域活動する中で子供から高齢者の方々にまで関わることができて、いろんな方と交流させて頂いております。

地域活動の一環でハンドメイドの講習もさせて頂きました。高齢者施設でもリハビリを兼ねた講習会も行っていました。

お店はやめてしまったけれど、こんな形で役に立つことができる。

本当に人生無駄はないのだと改めて思いました。

潜在看護師から復職する決断

コロナ禍での看護師同期の頑張り。私はこのままでいいの?

もう、看護師の仕事はしない。看護師だったことすら忘れそうになっていた頃コロナウイルスが猛威をふるい始めました。

私の看護学校の同期はほとんどが看護師として働いています。

コロナ病棟で、療養のホテルで頑張っている同期の声を聞くといたたまれない気持ちでいました。

看護師が足りない。潜在看護師の復職を求める報道に耳を塞いでスルーしている自分に罪悪感を覚えました。

第一線では到底働くことはできないけれど、後方支援ならできるかもしれない。

だんだん、看護の世界に戻るべきなんだと思うようになりました。

家族ともしっかり相談し、信頼のおける方にも相談してみんなに快く応援してもらうことができました。

よし!やろう!

そうして周りの理解も得ることができて看護師としてやれることをやろう!と決意したのです。

でも、20年のブランクナース どこから仕事を探していいのかわからず、ネットで様々な情報を集め始めました。

そして、看護師求人サイトで求職活動を開始したのです。

この情報を集めること、求人だけではなく勉強方法や心構えなど、いろんなところをグルグル回って探しました。

まさにこのブログを作るきっかけとなったのです。

看護roo!キャリアアドバイザーとの出会い

最大の出会いは「看護roo!」に登録したところから始まりました。

ここで、手厚く求人のアドバイスを受け、無事に就職先を決めることができました。

キャリアアドバイザーの存在なしでは今の仕事には就いていなかったと言っても過言ではありません。

看護師とハンドメイド作家という二刀流

現在はパートで看護師として働きながら、「ハンドメイド作家」としても活動しています。

ハンドメイドは自宅ショップを行った時から始めていて、少しお休みした期間がありましたがそれでも19年くらいになります。

主に羊毛フェルトと紙バンド、布小物を制作しています。

自分や家族用も多く、販売数は少なめですが、細く長く続けていきたいと思っています。

興味のある方はリンクを貼っておきますのでご覧ください。

【カントリージャム】ミンネ(minne)

ジャム@羊毛フェルト・紙バンド作家(Twitter )

【カントリージャム】Instagram

まとめ

看護の仕事は患者さん(利用者さん)のために医療の知識と技術と心を持って看護する仕事ですが、実際は看護する側も患者さんに助けられています。

人と人との関わりの中で、触れ合いの中で得られる満足感をともに共有することができ、生きるということ、死んでいくということ。相反するようですが自然の中の一部なんだと感じます。

自分ができること、それは些細なことかもしれません。

でも、私にできる、考え得る最大限の看護をしていきたいと思います。

それには日々の勉強も大切ですし、心を磨くことも本当に大切だと思っています。

看護師として体が続くまでシルバーナースになっても仕事を続けていきたいと思っています

看護の仕事はこれで良し。これで終わり!ということはありません。退院後の在宅ケアのため訪問看護師になる方もたくさんいます。

私の勤めるリハビリデイの場合は病院にできるだけ行かなくても良いように、予防のために運動をする。もしくは退院後家での生活ができるだけ困らないように体の機能を維持かつ改善させる仕事をしています。

看護の仕事は多岐にあり、同じ看護はありません。患者さん一人一人が違うように、その方にあった看護があります。

だから看護は面白いのだと思います。

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この記事を書いた人

訪問ありがとうございます!
当ブログの管理人のジャムです。
50代看護師です。R3に20年ぶりに看護師へ復職しました。
潜在看護師のみなさんが復職するにあたり私の経験が復職へのお役に立てればと思い、このブログをはじめました。

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