お世話になった小児外科のドクター。小児がんを告知された子供たちと共に!

2022年フジテレビの10月期のドラマ『PICU 小児集中治療室』

北海道が舞台になっていて、地元というのと、『元NICU 新生児集中治療室』勤務経験の私としては興味あるドラマなので、さっそく見ました。

実在しているドクターの話し。だそうです。

そう、やけにリアルな問題を投げかけていると感じました。

小児科の医者は対象者が子どものため大人と違い、治療も特別で手間もかかるし、訴訟のリスクも高くなる。

だから、産婦人科と同様になり手が少ないと言われています。

その中で、子どもの救命救急はまだまだ不十分な状況。

ドラマはそのような背景を踏まえつつ

どんな子どもでも受け入れられるPICUを作るため、そして、1秒でも早くPICUに搬送できる医療用ジェット機の運用を可能にするために奔走する姿を描く感涙必至のメディカル・ヒューマンドラマ。

フジテレビ ドラマ『PICU小児集中治療室』

もちろん、このドラマの意義深いところも今後、見ていく価値がとてもあるので、ティッシュを横に置きながら(多分、毎回泣く)チェックしていきます。

そして、ここからが本題。

(もう、ドラマの話は終わってしまったので、興味のない方はごめんなさい。)

このドラマを見ていて、私の脳がすごく昔のことを思い出したのです。

北海道・・・。難病・・・。白血病の子供たち・・・。キャンプ・・・。横山教授・・・。

北海道に小児の何か、作っていなかった?どこかのテレビ局で放送されていなかったかな?

横山教授。

う〜ん。う〜ん。と唸りながらググる、ググる、ググってみたら、あった!

そんな、話をしてみます。

今回はとっても大切な小児の話です。

目次

大学病院(NICU)勤務時代

初めて看護師として働いた職場は「NICU 新生児集中治療室」でした。

未熟児の赤ちゃんや病気を抱えた新生児の集中治療室勤務です。

看護師として未熟な上に集中治療室というプレッシャーの中、精神的にもに肉体的にも過酷で、過酷で。

はじめの1年間は辞めたくて仕方が無かったです。

でも、今思うことは本当はとてもやりがいのある職場だったんだな・・・。と、いうことです。

そんな過酷な職場で私は横山教授に出会いました。

小児外科の横山教授。外科の赤ちゃんがいる時にはNIUCに来て診察、手術等の治療をします。

外科のドクターは結構、さっぱり、大らかな感じな方が多いですが、新人看護師から見た横山教授もそんな風に見えました。

あまり偉そうではなく、ざっくばらんな感じ(失礼な言葉で申し訳ありません)

だから、外科の回診は気持ちが楽だったように記憶しています。

次男がお世話になった横山教授

結婚後も大学病院で仕事をして、後に退職。

その後、長男、次男に恵まれて育児と家事をしながら看護師として仕事もしていました。

毎日が目まぐるしく忙しいそんな時、次男が生後半年くらいから、排便が困難になってきました。

綿棒にベビーオイルをつけて、浣腸をし、排ガスを促したりイチジク浣腸を使ったり。

最初の頃はそれでも自力で排便することができていましたが、やはりこれは普通ではないな・・・。と感じ

大学病院時代の小児内科のドクターに相談して横山教授に診察してもらうことになりました。

いろんな、病児を見てきたので一つの病気が脳裏を横切りました「ヒルシュスプルング病」

ヒルシュスプルング病は、90%に胎便排泄の遅延を起こし、放置すると排便のできない腸閉塞状態で敗血症を続発し、命にかかわる病気です。その一方で便秘のみの経過で発見される例も10%あります。

KOMPAS

片道1時間。長男、次男を車に乗せて月1回の診察が始まりました。

とりあえず、排便があるので、下剤と浣腸をかけて経過を見ることになりました。

横山教授に片言が話せるようになった次男が「かんちょう、きらい」と言いました。

「こんなに小さいのに、浣腸嫌いって、そんな言葉覚えて可哀想になあ・・・」

言ってくれたのが印象的でした。

その後、北海道に転勤になったため北大病院に紹介状を書いてもらい治療は引き続き行いました。

北大の外科の教授もやっぱり大らかな方で

「横山君元気かね?」(こちらの先生が先輩なんだな〜)と思いながら

「はい、お元気です」と答えました。

横山先生とご自分の話をされながら、仲良さげな雰囲気の二人のドクター。

次男はあの、危惧していた「ヒルシュスプルング病」ではなく

排便コントロールの練習をして自力排泄できるようになり。

現在は毎日問題もなく?(笑)24歳になっています。

北海道にて

その後、何年が経ったのでしょうか。

ある日、なにげなくテレビをつけたら、横山教授がでているではありませんか!

それも、随分とお痩せになっていて、どこか具合が悪いのかと思うくらい。

テレビも途中からだったので、どの局のなんという名前の番組かもわからず。

記憶していたのが横山教授が末期の胃がんで、白血病の子供たちに北海道の自然の中でキャンプができる環境を整えたいと奮闘している話でした。

モルヒネ?でしょうか持続点滴を腰にぶら下げて、それでも表情は強く、明るく子供たちのために頑張っている姿でした。

そのことを、今回の「PICU」のドラマを見て思い出したのです。

息子に優しく話しかけてくれた横山教授、彼は何を成し遂げたかったのか、それが志しなかばにして叶わなかったのかどうなのか・・・。

そらぷち キッズキャンプ

イメージ画像

とても気になって、気になって、ググって、出てきた時には「やった!これだ!これだ!」とすごくうれしかったです。

『そらぷち キッズキャンプ』

法人のご挨拶にこのように書かれてありました。

そらぷちキッズキャンプの計画は、国内で活動する二つの流れが、ほぼ同時にこうしたキャンプをつくろうと動き出したことに端を発します。
一つは、医療者たちの取り組みです。
「創る会」の会長であった故・横山清七医師(元東海大学医学部小児外科教授)が1999年米国難病児キャンプに患児とともに参加、子どもたちが生きる実感をかみしめている様子に驚き、「ぜひ日本でも」と決意。

その後、わたくし細谷が仲間の小児がん専門医らとともに実施していた「スマートムンストンキャンプ」に参加されるようになりました。

「スマートムンストンキャンプ」は、小児がんを告知された子どもたちが参加するキャンプで、1998年から毎年、キャンプ地を固定せず日本各地の既存施設を利用し実施していました。

そして2003年横山医師は、自身が会長となった第19回日本小児がん学会で、キャンプを中心にした子どものQOL(生活の質)向上をテーマに掲げ、その重要性を全国に発信しました。

そらぷち キッズキャンプ 法人のご挨拶より

現在も続いている「そらぷち キッズキャンプ」

そらぷちキッズキャンプとは? 

“そらぷち”とはアイヌ語で“滝下る川”という意味でキャンプ地のある北海道滝川市の由来となった言葉です。


日本国内に約20万人いるといわれている小児がんや心臓病などの難病とたたかう子どもたち。

「そらぷちキッズキャンプ」は医療施設を完備し、特別に配慮されたキャンプ施設や自然体験プログラムを設けた、子どもたちの夢のキャンプを創っています。

病気の子どもたちやその家族が、自然の中で病気のことを忘れ、笑顔で楽しいときを過ごし、「楽しい思い出」「すばらしい仲間」「生きる力」「希望」を得ることができる場所を提供したいと考えます。

そらぷちとは より

ここ北海道で、こんな素晴らしい活動があるんだと今頃になって気がついた私ですが、「PICU 小児集中治療室」のドラマが始まらなかったら、思い出せていなかったかもしれません。

これから、この活動を知ることになったので私ができる何かを探して、横山教授に恩返ししたいと思いました。

このブログを最後まで読んでくださりありがとうございました。

私たち看護師ができること、これから復職して看護師として頑張りたいあなたへ。

こんな働き方も素晴らしいと思います。

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この記事を書いた人

訪問ありがとうございます!
当ブログの管理人のジャムです。
50代看護師です。R3に20年ぶりに看護師へ復職しました。
潜在看護師のみなさんが復職するにあたり私の経験が復職へのお役に立てればと思い、このブログをはじめました。

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